3年くらい前に一度読んで、本棚に入りっぱなしだった「セロ弾きのゴーシュ」。昨日、外出先から帰って冷たくなった体を温めるために半身浴しながらもう一度読んでみました。
町の仲間と音楽会で披露する交響曲を練習するゴーシュ。楽長に怒鳴られてばかりで練習後に涙をこぼしてしまうけど、家で明け方まで演奏し練習を続け、夜中に家を訪ねてくる動物たちに相手をしているうちに、ゴーシュの演奏には動物たちの病気を治す力があることが判明。そして10日間の一人特訓後の本番で大成功を収め、みんなの喝采を浴びるセロ弾きのゴーシュ。
金星音楽団の中でも楽器はおんぼろ、センスもなし、怒られてばかりのゴーシュが、泣きながらもただひたむきにセロの練習に明け暮れて成長する様子が神話的で希望を感じるのと同時に、洋服作りを始めたばかりの頃、本当に自信がなくて、でも思うようにできないのが悔しくて、それでもただひたすら馬鹿みたいに黙々と続ける。そんな過去の自分自身に重ね合わせて読みました。
3年前に習い始めた絵画は、まだまだ思うように描けなくて、がっかりすることもあるけれど、その先の景色がいつか見れるようになることを信じて続けています。宮沢賢治のお話は、とても繊細で切ないけど愛に溢れているところが好きです。このお話は友達がいいよ! と教えてくれました。大人になっても好きな物語があることは、とても素敵だと思いました。
同じ短編集の中の「グスコーブドリの伝記 」では時代背景が厳しく生きるのは大変で、東北地方は寒さのために作物がとれなかったり、私の祖父や祖母の時代は大変だったろうなぁ、と作品からその時代の人たちの生活を想像してみたりもしました。
上の写真は、今日のお散歩先の西郷山公園の夕日。
明け方の金星が輝く時間のお散歩中に感じ取る世界と、物語から受け取る世界は不思議につながってるように思います。